『昭和の鉄道と暮らし~エコーモデル・その世界~』が評判ですね。ここで掲載されている「城新鉄道」って、TMS特集シリーズの「小レイアウトと小型車輌」に載っていたレイアウトでしょうか?
内容は、精密で情感あふれる日本型レイアウトを目指すビルダーにとっては必携の一冊だと思いますし、阿部氏が16番の情景小物表現の草分け、ホワイトメタルアクセサリ開発販売の草分け、そしてエコーモデル社長として模型界に地位を確立するまでのサクセスストーリーを、貴重な資料や作例を豊富に掲載しつつまとめあげた素晴らしく有用な本だと思いますが、私としては購入はパス・・・
理由は、心の中にわけのわからぬ忌避感のようなものがわき上がってきたからで、そういや、本棚にある「地鉄電車慕情」もそろそろ処分しないと精神衛生に悪影響を及ぼしそう、なんて思いも浮かんできました。
いったいこれは、なんなのだ、とちょっと真剣に考えてみたところ、以前にこのブログで、自分が「昭和アレルギー」であることをカミングアウトしたことがありましたが、どうも私は「昭和」が嫌いなんじゃなくて、ノスタルジックな風景とか故郷とか慕情とか郷愁とかという概念や感覚に、虫酸や悪寒(笑)が走る性格であるらしい、ということが判ってきました。
ここで、少々解説を。
ノスタルジーという言葉を広辞苑でひいてみると、「ノスタルジー [nostalgie フランス] 故郷を懐かしみ恋しがること。また、懐旧の念。」とありました。
もともと私は、実物の鉄道には興味も関心もありません(もちろん知識も貧弱そのものです、ハイ)が、それは鉄道だけでなく、沿線風景にもおよびます。それどころか、大自然の雄大な風景、郷愁を誘う街並みの風景などというものにも興味がないというか、無関心。どちらかというと、故郷とか原風景?とかいう概念にアレルギー反応を示してしまう、ということらしいのです。
ついでに、演歌もプロ野球も、酒と涙と女と義理人情という黄金の組み合わせも虫酸が走るくらい嫌いです。あ、それから煙草もです。え?女に虫酸が走るって、おまえは同性愛かって?いーえ、私は異性にしか興味はございません。酒と涙と義理人情に結びつきやすいところがダメなのです。
さてさて、ここまで白状してしまうと、口さがない方々は、幼年期のトラウマに関わる精神的な逃避行動であるとか、潜在的社会不適応者としての傾向が伺える症例だとか、いろいろと精神分析などしてくださりそうな気がして、なんだかとっても楽しくなってきますが、なぜノスタルジー嫌いが発症したのかなどという、自分でもよく判らないことはおいといて、ほんとうの問題は、そういう性向の人間がなんで鉄道模型やジオラマなんぞ好きこのんで、飽きもせず、つくり楽しんでいるのかというところです。
機械やおもちゃが好きだ、というだけでは説明がつきません。あえていうなら、ドライなサイエンスフィクションを楽しんだり、自分にとって新しいものや仕組みをつくるのを楽しむように鉄道模型の世界を楽しんでいる、または、どこかにこれまで見てきた風景を下敷きにしていることはもちろんですが、ただ単純に自分にとって心地よい風景を目に見えるものとしてつくることを楽しんでいる、といった方がいいかもしれません。
つまり、これといったお手本はないし、利用できそうなパーツは利用しますが、それをフルに活用して、実物プロトタイプ、または、どこかで見たような作例とそっくりな形態や風景に仕上げるなんてことは、ぜったいに、気に入らない。何が何でも面白くない。まったくもって、やっかいな性格だと思います。
だから私の鉄道模型工作は、生真面目な「素晴らしき鉄道模型人」から見たら、想定外の楽しみ方だし、つくるものも評価対象外、ようするに箸にも棒にもかからないしろもの、となってしまうのは仕方のないことなのだろうなあ、としみじみ感じています。
まあ、模型工作趣味って、基本的に自己完結する性格のものですし、アートとか工芸とかのようにそれで何かを主張したり他人に評価を求めたりするものでもなし、自分としてはべつにこれで不都合はないのだけれど、だったら、なぜ、こんなブログやウェブページを継続しているのだろう、やっぱり、自分の記録をどこかに残したい、どこかで他人=社会とつながっていたいという感覚があるからなのだろうか、などと自問自答しています。
なんだか、最後は心理分析的な展開になってきて我ながら苦笑です(^^;;;
3/9 追記
三人の方からコメントをいただいて、考えされられました。
たしかに、みなさんの言われるとおり、阿部氏の記事が初めてTMSに出た頃は、純粋に、目の前にある細々したものを表現するテクニックに、ひたすら目を見張っていたものでした。
レイアウト全体の工作や情景表現のテクニックとしては、坂本氏の摂津鉄道、荒崎氏の雲竜寺鉄道祖山線などが当時の鉄道模型工作表現の最先端を行く記事としてあげられると思いますが、これらには、「郷愁を誘う風景」とか、昭和の真っ最中なんだから当り前ですが「懐かしの昭和レトロ」とか言う概念は、それこそこれっぽっちもありませんでしたし、今読み返しても、そのような味付けはどこを探しても見られません。
坂本氏の摂津鉄道のレイアウト構想には、自らが乗車勤務している沿線の風景を模型として表現したい、という意味の記述がありますし、荒崎氏の祖山線にはレイアウトで表現する鉄道の詳細な背景とストーリーが設定されていますが、これは郷愁とか慕情とかとはまったく違う概念でしょう。
懐かしの風景とか昭和レトロとかいうものは、現在、鉄道模型の世界に新規参入してくるある一定の年齢以上の人々を誘因する要素として、ことさらに強調されている味付け、というか戦略のようなものなのではないかと思います。
「懐かしの昭和」は、たしかに確実にブームになって一世を風靡し、一般に受け入れられて定着していますし、マーケティング戦略としては大正解と言えるでしょう。しかし、だからこそ、私は、そこに必要以上のうさんくささを感じるのだろうと思います。これは、ゆうえんさんの言われる「N&Sガゼット購読していても、コロラドのレイアウト作る気はない」というのとはちょっと違うような気がします。
鉄道模型の世界を楽しむのに、模型工作や鉄道が好き、という入り口と、昭和レトロや懐かしの風景、郷愁などというムード、情感、感動、という入り口があることは確かです。ただ、後者は、なにも鉄道模型でなくてもかまわない、模型工作でなくてもかまわないわけで、そこに、模型工作好きとして、なにかわけのわからない忌避感を感じてしまうのだろうと思います。
最近になって、テレビなどマスメディアでも取り上げられて鉄道模型が以前に比べてうんとポピュラーになってきたことはうれしいことですが、アートだとか工芸だとかマイスター(笑)だとかいうようなわけのわからん要素がなんだか妙に強調されていることが気になります。私のスタンスは一貫して、鉄道模型=おもちゃ&模型工作、なものですから、ここにも違和感を感じる要因が潜んでいるのかもしれません。
考えてみれば、日本で、鉄道模型がごく普通の人々に趣味として認知された(笑)のは、ごく最近のことですから、木彫り、陶芸、トールペイント、トンボ玉、ステンドグラス、編み物、ビーズ細工、ドールハウス、人形づくりその他諸々の手芸、工芸のように、こなれた趣味やポピュラーアート(大衆芸術。民芸などのことを言います。ポップアートのことではありません。念のため)にくらべたら、まだまだその取り扱われかたが特殊というかぎこちないところがありますし、これはしかたのないことなのかもしれませんね。
なにはともあれ、「昭和の鉄道と暮らし」も「地鉄電車慕情」も作例&模型資料としては非常に参考になる本であることは再度強調しておきたいと思いますが、入り口が模型工作とは違うという意味でも、ノスタルジー嫌いの性格としても、私としては、「そばに置いておきたくない一冊」(苦笑)であることに変わりはなさそうです(^^;;;
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