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2009年3月 7日 (土)

ノスタルジーアレルギーと鉄道模型工作趣味??

『昭和の鉄道と暮らし~エコーモデル・その世界~』が評判ですね。ここで掲載されている「城新鉄道」って、TMS特集シリーズの「小レイアウトと小型車輌」に載っていたレイアウトでしょうか?

内容は、精密で情感あふれる日本型レイアウトを目指すビルダーにとっては必携の一冊だと思いますし、阿部氏が16番の情景小物表現の草分け、ホワイトメタルアクセサリ開発販売の草分け、そしてエコーモデル社長として模型界に地位を確立するまでのサクセスストーリーを、貴重な資料や作例を豊富に掲載しつつまとめあげた素晴らしく有用な本だと思いますが、私としては購入はパス・・・

理由は、心の中にわけのわからぬ忌避感のようなものがわき上がってきたからで、そういや、本棚にある「地鉄電車慕情」もそろそろ処分しないと精神衛生に悪影響を及ぼしそう、なんて思いも浮かんできました。

いったいこれは、なんなのだ、とちょっと真剣に考えてみたところ、以前にこのブログで、自分が「昭和アレルギー」であることをカミングアウトしたことがありましたが、どうも私は「昭和」が嫌いなんじゃなくて、ノスタルジックな風景とか故郷とか慕情とか郷愁とかという概念や感覚に、虫酸や悪寒(笑)が走る性格であるらしい、ということが判ってきました。

ここで、少々解説を。

ノスタルジーという言葉を広辞苑でひいてみると、「ノスタルジー [nostalgie フランス] 故郷を懐かしみ恋しがること。また、懐旧の念。」とありました。

もともと私は、実物の鉄道には興味も関心もありません(もちろん知識も貧弱そのものです、ハイ)が、それは鉄道だけでなく、沿線風景にもおよびます。それどころか、大自然の雄大な風景、郷愁を誘う街並みの風景などというものにも興味がないというか、無関心。どちらかというと、故郷とか原風景?とかいう概念にアレルギー反応を示してしまう、ということらしいのです。

ついでに、演歌もプロ野球も、酒と涙と女と義理人情という黄金の組み合わせも虫酸が走るくらい嫌いです。あ、それから煙草もです。え?女に虫酸が走るって、おまえは同性愛かって?いーえ、私は異性にしか興味はございません。酒と涙と義理人情に結びつきやすいところがダメなのです。

さてさて、ここまで白状してしまうと、口さがない方々は、幼年期のトラウマに関わる精神的な逃避行動であるとか、潜在的社会不適応者としての傾向が伺える症例だとか、いろいろと精神分析などしてくださりそうな気がして、なんだかとっても楽しくなってきますが、なぜノスタルジー嫌いが発症したのかなどという、自分でもよく判らないことはおいといて、ほんとうの問題は、そういう性向の人間がなんで鉄道模型やジオラマなんぞ好きこのんで、飽きもせず、つくり楽しんでいるのかというところです。

機械やおもちゃが好きだ、というだけでは説明がつきません。あえていうなら、ドライなサイエンスフィクションを楽しんだり、自分にとって新しいものや仕組みをつくるのを楽しむように鉄道模型の世界を楽しんでいる、または、どこかにこれまで見てきた風景を下敷きにしていることはもちろんですが、ただ単純に自分にとって心地よい風景を目に見えるものとしてつくることを楽しんでいる、といった方がいいかもしれません。

つまり、これといったお手本はないし、利用できそうなパーツは利用しますが、それをフルに活用して、実物プロトタイプ、または、どこかで見たような作例とそっくりな形態や風景に仕上げるなんてことは、ぜったいに、気に入らない。何が何でも面白くない。まったくもって、やっかいな性格だと思います。

だから私の鉄道模型工作は、生真面目な「素晴らしき鉄道模型人」から見たら、想定外の楽しみ方だし、つくるものも評価対象外、ようするに箸にも棒にもかからないしろもの、となってしまうのは仕方のないことなのだろうなあ、としみじみ感じています。

まあ、模型工作趣味って、基本的に自己完結する性格のものですし、アートとか工芸とかのようにそれで何かを主張したり他人に評価を求めたりするものでもなし、自分としてはべつにこれで不都合はないのだけれど、だったら、なぜ、こんなブログやウェブページを継続しているのだろう、やっぱり、自分の記録をどこかに残したい、どこかで他人=社会とつながっていたいという感覚があるからなのだろうか、などと自問自答しています。

なんだか、最後は心理分析的な展開になってきて我ながら苦笑です(^^;;;


3/9 追記

三人の方からコメントをいただいて、考えされられました。

たしかに、みなさんの言われるとおり、阿部氏の記事が初めてTMSに出た頃は、純粋に、目の前にある細々したものを表現するテクニックに、ひたすら目を見張っていたものでした。

レイアウト全体の工作や情景表現のテクニックとしては、坂本氏の摂津鉄道、荒崎氏の雲竜寺鉄道祖山線などが当時の鉄道模型工作表現の最先端を行く記事としてあげられると思いますが、これらには、「郷愁を誘う風景」とか、昭和の真っ最中なんだから当り前ですが「懐かしの昭和レトロ」とか言う概念は、それこそこれっぽっちもありませんでしたし、今読み返しても、そのような味付けはどこを探しても見られません。

坂本氏の摂津鉄道のレイアウト構想には、自らが乗車勤務している沿線の風景を模型として表現したい、という意味の記述がありますし、荒崎氏の祖山線にはレイアウトで表現する鉄道の詳細な背景とストーリーが設定されていますが、これは郷愁とか慕情とかとはまったく違う概念でしょう。

懐かしの風景とか昭和レトロとかいうものは、現在、鉄道模型の世界に新規参入してくるある一定の年齢以上の人々を誘因する要素として、ことさらに強調されている味付け、というか戦略のようなものなのではないかと思います。

「懐かしの昭和」は、たしかに確実にブームになって一世を風靡し、一般に受け入れられて定着していますし、マーケティング戦略としては大正解と言えるでしょう。しかし、だからこそ、私は、そこに必要以上のうさんくささを感じるのだろうと思います。これは、ゆうえんさんの言われる「N&Sガゼット購読していても、コロラドのレイアウト作る気はない」というのとはちょっと違うような気がします。

鉄道模型の世界を楽しむのに、模型工作や鉄道が好き、という入り口と、昭和レトロや懐かしの風景、郷愁などというムード、情感、感動、という入り口があることは確かです。ただ、後者は、なにも鉄道模型でなくてもかまわない、模型工作でなくてもかまわないわけで、そこに、模型工作好きとして、なにかわけのわからない忌避感を感じてしまうのだろうと思います。

最近になって、テレビなどマスメディアでも取り上げられて鉄道模型が以前に比べてうんとポピュラーになってきたことはうれしいことですが、アートだとか工芸だとかマイスター(笑)だとかいうようなわけのわからん要素がなんだか妙に強調されていることが気になります。私のスタンスは一貫して、鉄道模型=おもちゃ&模型工作、なものですから、ここにも違和感を感じる要因が潜んでいるのかもしれません。

考えてみれば、日本で、鉄道模型がごく普通の人々に趣味として認知された(笑)のは、ごく最近のことですから、木彫り、陶芸、トールペイント、トンボ玉、ステンドグラス、編み物、ビーズ細工、ドールハウス、人形づくりその他諸々の手芸、工芸のように、こなれた趣味やポピュラーアート(大衆芸術。民芸などのことを言います。ポップアートのことではありません。念のため)にくらべたら、まだまだその取り扱われかたが特殊というかぎこちないところがありますし、これはしかたのないことなのかもしれませんね。

なにはともあれ、「昭和の鉄道と暮らし」も「地鉄電車慕情」も作例&模型資料としては非常に参考になる本であることは再度強調しておきたいと思いますが、入り口が模型工作とは違うという意味でも、ノスタルジー嫌いの性格としても、私としては、「そばに置いておきたくない一冊」(苦笑)であることに変わりはなさそうです(^^;;;

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コメント

 はじめまして。

 おっしゃる事、判るような気がいたします。
 例えば蒸気機関を形作っているメカも、生まれた時は最新だったはずです。外輪船も、クランクで始動する自動車も、プロペラ複葉機も、当然0系新幹線だって生まれた時から「懐かしい」存在ではなかったはずです。
 オート3輪が生まれた頃は、懐かしいのは牛馬の引く荷車だったはずです。

 だから今現在、生活感あふれる現場にある乗り物でも、フォークリフトやトラクターなどはなかなか「懐かしい」とは言われません。
 逆に今から30年前ぐらいに空想された未来メカが「懐かしいね」と言われたりします。

 そこから考えると、「懐かしい」はメカそのものの持っている性質とは違う気がするのです。
 メカだけじゃなく、建物や地形もそうですね。西洋のお城も、そこの住民にとっては「懐かしい」対象だと思います。

 私は表現として「懐かしい」を盛りこむというのは、そのジオラマや箱庭の世界がこの、今現在我々のいる世界と地続きだという「記号」を盛り込む事だと解釈しています。
 まるで異世界でも、それはそれでいいはずです。

 私は実物も好きですが、それをそのまま模型にしようとは思いません。自由な所が無いと息抜きにもなりませんし、「もっともらしいウソ」の方がずっと魅力的に見えるからです。

「城新鉄道」の記事がTMSやレイアウトテクニックに掲載されて、モデラーを驚かせていた頃って、ああいう風景は別に懐かしいとか郷愁を誘うとかではなくて、その当時のごくありふれた地方私鉄の風景であったし、見る側も懐かしいだの昭和だのなんて思って感動していたのではなかったですよね。

私は阿部さんの本は早速購入して、毎晩読んでいますhappy01
でも私もいわゆる晩年の地方鉄道や味噌汁軽便はあまり好きではありません。
阿部さんの本や宮下さんの地鉄本は、レイアウトのアイデアや技法の参考書として読ませてもらっています。N&Sガゼット購読していても、コロラドのレイアウト作る気はないbleahのと同じことだと思います。

ものぐさ太郎さん、keukaさん、ゆうえん・こうじさん、

コメントありがとうございました。じつは、このエントリにコメントが付くとは思っていなかったので、かなりあわてています(^^;;;

リプライを書き始めて、これはなかなかにおもしろい話題かな、と感じたので、コメントとしてではなく、エントリに追記としてのせておくことにしました。ごらんいただければと思います。

私もノスタルジー的な感覚にはちょっと違和感があります。かの「三丁目の夕日」は好きな映画ですが、あの当時、家やクルマがあんなに煤けていたわけがない。特に、鈴木オートは車屋なんだから、自分のミゼットがサビだらけのはずがありません。
ウチの近所にあった自動車修理屋さんの自家用車はいつもピカピカに磨いてありましたからね。汚い自家用車に乗ってる自動車修理屋には修理出したくないですよね(苦笑)

ノスタルジー=汚い・貧乏みたいなステレオタイプな感覚が、相容れないのではないかと思ったりしますね。確かに昭和30年代の下町は貧乏で汚かったかもしれないですが、決してボロボロではなかった。
子供の着ているランニングシャツも毎日手洗いしていたから朝は真っ白でしたし、綺麗に継ぎの当てられたズボンは、今の感覚で見ると汚いのかもしれませんが、汚れている汚さとは違います。

車輌のウェザリングなんかにも共通するものだと思いますね。ただ汚せばいいってものでもないし、古いけれどよく整備された感じを再現するウェザリングなんていうものも、今後試行錯誤してみたいなと思ったりしています。

ただ、レイアウトを製作する場合に、時代考証っていうのは避けて通れない課題だと思いますね。安易にやってしまうと、どうしてもノスタルジックな情景に陥りがちです。分かりやすい表現方法ですからね。
それをどう消化していくか、というのは、やはりモデラーの感性とウデに掛かってくるのでしょうね。
なかなか大変です。

雀坊さん

そう、ぴかぴかなんですよ。形はレトロでも。

そこのところを大いに勘違いしているのが昭和懐かし派、郷愁派かもしれませんね。

機関車や車両も汚れたり錆が吹いてたりなんかしてたら、それはもう廃線寸前か、旧国鉄や社労庁なみの労働組合員がのさばっているかのどちらかでしょう(^^;;;

上品な汚し?は、憧れるところです。実物の汚れをそのまま写してみても上品さにはならないだろうと思います。

実は、ばりばりのウェザリングより、ロールアウトしたばかりのピカピカ状態が好きだったりもします。

私のところは蒸機も磨き込まれた一線で活躍している状態というのがウェザリングの目標です。私は古典機がメインなので、以前イギリスの保存鉄道で見た、磨き上げられたボイラーに青い空と雲が映っているという状態を理想としているのですが、なかなかそういうウェザリングは出来ません。
今悩んでいるのが客車の屋根の塗り方で、全体を均一な色調に塗ってしまうとリアルではないし、実物のようにマダラに煤で汚れたようにウェザリングしてしまうと汚らしい感じになってしまいます。難しいですね。

私はそうは思いませんよ。
本の編集内容からすると、あくまでもエコーモデルの宣伝本であり、日本型レイアウトビルダー必携の一冊だとは思わない。
必携というなら「レイアウトテクニック」の阿部氏の記事ならわかりますが。
強いて賛辞を送るなら「阿部ノスタルジーの世界」とでもしときましょう。
TMSが阿部氏の過去発表記事を抜粋して特集シリーズとして出すなら価値があると思いますが。

ゆうえん・こうじさん

古くてよく手入れされた機関車の艶は、すり込んだ煤が隅っこにわずかに残るくらいに磨きたてるのがいいのだろうなとおもいますが、なかなか・・・言うは易し行うは難しですね。

客車の屋根は、実物の汚れと違うことを承知のうえで、LGBの製品のように、エアブラシを使い、イエローオーカを中央から側縁にむかって薄くなるようグラデーションをかける方法が好ましく見えるのではと考えているところです。

saikatsu tramwayさん

本を含めこの世のすべての事物や資料は、人それぞれに受け取り方や価値判断、評価が違ってくるのが自然だと思います。

どこを見るか、何に使うか、どう感じるか、評価するか、きっとそれは、その本を使う側の意図や、その人自身の資質や性格にも影響を受けるものなのでしょうね。

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