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2008年9月21日 (日)

今月のTMS記事「軽便電鉄へのご招待」フリーランス雑感について

私は、基本的にはいわゆるフリーランス(フリースタイル?)にしか興味の無い模型鉄道ファンでありまして、いわゆる正当派鉄道模型趣味の世界から見たら、おそらくは規格外の楽しみ方ばかりやっているのではとおもっています。

だからというわけでもありませんが、「軽便電鉄ご招待」という記事のフリーランス雑感という項目での、カワイイ派、カッコイイ派という分類と話の展開が少々気になりました。

ここで言うカワイイ派もカッコイイ派も、実物のプロトタイプ車両があるということが前提の話のように思えます。

というのも、記事ではわざわざ、カワイイ派を「プロトタイプを寸詰まりにし・・・ショーティータイプのトイやデフォルメミニカーに広く用いられる手法です」と定義し、「先ずはしっかりしたスケールモデル作りをおすすめします」という一方で、カッコイイ派を「要するにプロトタイプへの不満を自己の美意識をもって改良しようするもの」と定義し、「自らの理想を全くのオリジナルデザインをもって表現することもありましょう」としています。

やっぱり鉄道模型というのは、その名の通り、実物の鉄道、プロトタイプの呪縛から逃れられないものなのでしょうか? このあたりが、私にはどうしても理解できません。

極端な話、鉄道車両なんてものは、線路の上を走るモノなら、なんだってかまわないと言って差し支えありません。

じっさい、実物のナローの世界、産業軌道の世界では、それこそなんでもあり。「事実は小説より奇なり」を地でいくことも多々あるわけですが、それだって誰かがその場その時の要求と必然性に応じて企画設計し、つくり上げたもの。それとおなじことを模型でやってのけることこそが、模型鉄道工作趣味の醍醐味だと思うのですが。

だから、フリーランス論議になると、必ず出てくるプロトタイプとの関係やスケールモデルとの比較など、そういうことが問題になること自体が不思議で不思議で仕方ありません。

「フリーランス雑感」の記事の最後から3つ目の文は、「貴方が考えて、創り出したフリーランス車両は、貴方自身の美意識がすべてを支配する貴方の鉄道世界の中では、必然性に満ちたスケールモデルであるはずです」という文になっています。

で、ま、そのあとに続くたいへん教訓的哲学的な、ちょっと読むのがはずかしくなるようなまとめの言葉はおいといて、この最後から3つ目の文は、そんなおおげさなもんじゃないぞ、とは思いつつも、まあ同感できない事はありません。

しかし、結局のところ、ここでいう「必然性に満ちたスケールモデル」の範囲には、カワイイ派でもカッコイイ派でもない、もちろん出来の善し悪しは別にしての話ですが、一介のどこの馬の骨ともわからんモデラーがまったく独自に創造したフリースタイルデザインのモデルなんぞは、きっと含まれてはいないのだろうなあ、と私(わたし)的には、どうにも妙にフラストレーションのたまる、記事の読後感なのでありました。


9月23日追記:

コメントに書き込まれた、

>フリーランスってそんなに話題にする必要あるの?
>レイアウトは恐らく99%がフリーランスですけど。

という文を見て、感じた事ですが・・・

フリーランスという意味、定義がよく整理されていないので、ひとによって思うところ、感じるところが違うのだろうなと思いました。

私の場合、フリーランスといったとき、たとえば下記のようなものを想像します。

ショーティー&デフォルメ車両のイラストレーション

Gn15ホットロッド・クリッター???

この人の作品、おもしろいです。

おもうに、こと、鉄道模型趣味の世界では、創造性、独創性、という概念は理解されがたいのかもしれません。

プロトタイプとか設計図とかそういうものがあって、そのとおりだったりそれをアレンジしたりすることよりも、何も無いところから何かを創り出したりデザインするほうが、実はうんと大変だと思うのですが。

このあたり、フリーランスの定義ともあいまって、鉄道模型(模型鉄道)工作(創作)趣味の根源にも触れる問題ではないかと感じる次第です。

というわけで、私の定義では、現在つくられているレイアウトの99%はフリーランスではないと言っていいと思っています。

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コメント

なんだかあの記事、あそこだけ浮いてるような印象を持ちました。記事前半と言ってることが逆、というか。あのフリーランス論って、筆者の作っている模型そのものとも対立してるんじゃないかと。

もへさん、

私には、記事前半も、一所懸命何でもありのフリーランスを強調しているように見えて、結局のところは実物を意識した、というか、「実物からどれだけ自由にデフォルメしたか」という、プロトタイプに縛られた模型工作のようにおもえました。
それが、いわゆる正当派の王道を行くフリーランス鉄道模型趣味の限界なのかなと。

フリーランスってそんなに話題にする必要あるの?
レイアウトは恐らく99%がフリーランスですけど。

確かに出来上がったものは『どこかで見たような』ものですね。

近しい実物のイメージをデザインに取り込むことで、造形物にリアリティを付与するというのは有りだと思いますが、それがベストの方法だと言われてしまうと、そこからこぼれ落ちるものが多すぎますね。個人のデザインポリシーの表明であれば納得できますが、そこに『べき論』が入っているのが問題なのでしょうね。

この記事は別にして面白いと思うのは、鉄道模型が、ショーティやデフォルメにしろ、一から作り上げたものにしろ、フリーランスが受け入れられている模型ジャンルだというところです(体質的にそういう模型が受け入れられない人がいる、というのは別の問題)。他のジャンルの模型でフリーをやると、『SFメカ』の範疇に入れられてしまうような気がします(^^;

他にフリーデザインの受け入れられている模型ジャンルというと、動かす要素のあるもの。ラジコンとか、鉄道系だとライブスティームといった、小さい実物を作らなければいけないものがそうですね。鉄道模型も動力が入るから、こちらの要素も少しあったりするのでしょうか。

もへさん、

動かすための簡略化、省略可、そして実物とは異なる模型としての機構を採用することは、フリーランスをつくるという範疇には入らないのではないかと思います。

ただ、鉄道の場合、たしかに他の乗り物模型の分野に比べて、フリーランスという手法が入り込みやすい下地があったことは確かのようですね。おもちゃとしての歴史が古いことに、その原因があるのかもしれませんね。

ですから、フリーランスを生理的に認められない方々は、おもちゃとしての鉄道模型(模型鉄道)を認めることが出来ない、おもちゃといわれたくない、ということなのかも。彼らは、鉄道模型を写実アート又は工芸品的なものとしてとらえているのでしょうか?

もうひとつ、鉄道以外の世界でフリーランスをやったらSFになる、という話はたしかにそうですね。でも、プロトタイプがスターウオーズのようなSF映画、ガンダムのようなSFアニメの場合は、その設定と世界観に従った「スケールモデル」の世界が展開されているように見えます。

そういうところではそもそも模型としての「フリーランス」という概念は存在しているのかどうか、ちょっと興味が湧くところです。フィギュアの世界でも、よく似たことが言えるのではないかと思いますが、どうでしょう?

レイアウトの99%がフリーランスだというコメントに対しては、本文に追記しましたので、ご一読を(^^;;;

世界観そのものをデザインするのか、ある世界観(現実世界も含む)の中でのガジェットをデザインするのかというのは、デザインのレイヤーが違うのだと思います。ガジェットデザインのポリシーも含め、どの段階をフリーランスと呼ぶのかで、考察の内容も変わってくるのでしょうね。

昔の鉄道模型界ではデフォルメモデルやショーティーが自由型=フリーランスとして分類・認識されていたけれど、最近は必ずしもそうで無いですよね。
また、昔だったら架空の鉄道の車輌=フリーだったのが、「ダックス」以後はスケールモデルをより楽しむ場として、架空の鉄道を設定する事も増えてきてますし・・・

ところで今回の小林氏の一文は、例のキャラメルNのorzな木曽や酒井に対しての苦言なんじゃないかと(以下略

keuka さん、もへさん、

今では、すくなくとも簡略化とかスケールモデルにしたくてもデザイン能力がついていかなかったとかいうのは、フリーとは違うという風になってきているのかもしれませんね。
それは、デザインのレイヤーの以前の問題ですよね(^^;;;

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