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2008年1月29日 (火)

手に入れたいという欲求

森氏の「欠伸軽便鉄道の掲示板」を見ていたら、ラウンドハウスのケイティが届いた、と紹介されていました。

これは、好みのスタイルで前々から手に入れたいなと思っていた機関車だったのですが、値段が値段だけに、私にはネット上のウインドウショッピングを楽しむのが精一杯。それでも、手に入れることを本気で考えて、日本円ではどのくらいになるのかとか、日本までの送料はどれくらいかかるのかとか、キットにしたらどれくらいの費用ですむのかとか、ラジコンを自分で組み込んだらどうなるのかとか、ラウンドハウスのウェブページを隅から隅まで眺め回して、ずいぶんと楽しませてもらったものです。

ところが、森氏の掲示板を見たとたん、なぜか、どうしても欲しい、という感覚が消えてしまいました。ネットのカタログを見ると、とても楽しくなるのは以前とちっとも変わらないのですが、手元に置きたい、所有したいとは思わなくなってしまいました。不思議な感覚です。

なぜだろうと考えてみて思い当たったのは、望めば実物に触れる機会がありそうなものは、自分で持っていなくてもいい、と考えるようになった、ということ。この場合は、日本国内の面識のある方がそれを所有している、というだけの話で、見せてもらえる可能性は問題外なのですが、それでも十分な理由になりえたということでしょう。

もうひとつは、自分に手が届くかどうかは別にして、お金を出せば手に入る製品にはあまり執着が無くなってきたということ。

自分がつくったものは、それをつくった過程の時間と記憶の結晶として、それなりに大事にしたいと思っていますが、お金を出して手に入れた製品にはあまりそういう感情を持てません。

もちろん、お金を出して手に入れた製品でも、旅の思い出など、自分にとって大事なものがあります。でも、手に入れる過程の記憶は、つくる過程の記憶とは、質が違います。

たくさんのものを所有することが煩わしいと思うようになったせいもあるかもしれません。齢をとったのでしょうか?

どっちにしろ、「あれが欲しい」とか「あれと同じものが欲しい」という欲求もしくは感情が、自分の中から急速に消えつつあります。よく考えると、そのような欲求や感情は、人間の活力の元でもあることだと思えますから、自分自身の生きる活力が失われてきているのではないかと、ちょっと気になります。

しかし、何かの拍子に、オリジナルの作品をつくりたいという欲求が生まれて、突き動かされるように制作を始めることがあります。そういう衝動が現れるうちは、まだ大丈夫だろうな、と自分自身を納得させています。

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